2009年11月10日

サンタクルーズ物語

いや、たんなるギターの話なんですけど、、
興味ない人にはまったくどうでもいいことなんですけど、、

何年か前、5〜6年前になるのかな、Santa CruzのVintage Artistというギターを買った。定価は50万円ぐらいなのだけど、ヤフオク(笑)でその半額ぐらいの値段で買った。

見た目も触った感じも素晴らしい。どう考えてもいいギターなんだけど、なんでだか音がやわらかすぎて芯がないような気がする。けど、マホガニー(材質ね)のスキャロップ(ギターの表板を支える組木の状態のことね)はこんなものなのかなあ、、と思いつつ、けどどうにも納得がいかなくて、弦をあれこれ変えてみたり、サドルを変えてみたり、それでもあんまり良くならずに手放そうかとも思った。

けどやっぱり見た目も触った感じも素晴らしい。で、ずーっと案じていたのだけど、ついおとといのこと、古いアコギ雑誌を眺めていたらこのギターの写真が載っていた。

マーチン、ギブソン、ギルドがアメリカを代表するアコギ御三家だとしたら、新御三家はテイラー、コリングス、サンタクルーズである、との特集記事。うーん、そのサンタクルーズの顔として大きく写真が載るぐらいだから、このギターがこんなもんなはずはやっぱりないんだよなと思いながら写真をながめていると、ハッと目に留まったのはブリッジピン(弦を留めているピンね)だった。

僕のと違う!

ずいぶんぺにゃぺにゃなプラスチックだよなあ、とはなんとなく思っていたのだけど、それが純正のものであることを疑ったことはなかった。試しにマーチンに付いてるブリッジピンと交換してみると、、

パッキーン!

音がちゃんとした。サドルやナットや、ペグ(弦を巻くとこね)で音が変わるとは思っていたけれど、ピンでもこんなに変わるんだ。そりゃそうか。今まで音がやわやわだったのは、弦を留めてるピンがやわやわだったからだったんだ・・・

マーチンのが特別良いピンというわけではなく、普通のプラスチックのピンだ。なので、ピンを変えると音が劇的に変わる、とか、そんな話ではなくて、サンタクルーズに付いていたピンの質があまりに悪かったということなのだろう。それが初めからついていたことを疑えなかった自分がいけなかったのだ。ヤフオクで買うとそういうこともあるのだ、きっと。

悩み続けた時間は長かったけれど報われた。めでたしめでたし。




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2009年11月08日

文章修行

岩見(十夢)くんがミニ・アルバムを作るということで僕んちの近所にあるスタジオに来ていたのでのぞきに行った。

なんだか変な文章だな。久しぶりに書くからな。

岩見(十夢)くんがレコーディングしているとこに遊びに行った。うちの近所のスタジオだったからだ。

これも変だな(笑)日本語ってムズカシイネ。

岩見(十夢)くんがレコーディングしているスタジオに遊びに行った。僕がよく行く図書館の上にそのスタジオはあって、そのくせ僕はそのスタジオを使ったことがないのだけど、これからは使おうと思う。

なんだそれ(笑)小学生がちょっとムズカしく書いたみたいな作文。

でね、先に進むとね、って別に進めって誰からも言われてないんだから進まなくたっていいんだけどね、って自分でつっこんでるとなんだかこわれた人みたいだけどね、ってこわれてる人に失礼だけどね、

って書いていてふと思ったんだけど、プルーストとかジョイスとか、意識の流れをそのまんま綴ったとかいう文学って、こういうことかな。

いや、違うよ。つーか急にプルーストとか言うなよ(笑)読んでないくせに。

で、岩見くんが来てて、遊びに行ったら、石田くんや村井くんや、水曜日には七海(良美)さんまでいて、七海さんなんかちょー久しぶりで、うれしかったんだけどさ、

あ、意外とこういう、バカっぽい文章の方がすんなり書ける!僕ってこういう人間だったんだ、実は。うわぁぁぁぁ何これぇぇぇぇぇ!!?、みたいな。

で、今日なんかあがた(森魚)さんまでいて、なんであがたさんがいたかというとやっぱり近所に住んでるからで、近所に住んでても意外と会わないもんだね〜なんて言い合ったかというとそんな話はしなかった。

あ、また作文(笑)

さらに今日は玉川(コモンビル)さんもいて、僕と同い年だったと思うのだけど十コ以上年下の岩見くんに敬語でしゃべっていて、その丁寧さを僕も見習いたいと思ったのだった。岩見くんの新曲もすごく良かった。

そうだった。岩見くんのことを書くんだった。脱線しすぎて忘れちゃった。まいっか。
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2009年10月16日

名画のようにのコード

カポ4です。



新潟の講義は1時間ぐらいでしたよ。
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2009年10月14日

あれのコード

新潟に行ってきました。20歳前後の、200人ぐらいの生徒さんたちを前に自分の5度のデビュー体験を語りました。デビューっていうのも変なんですけど、レコード会社が5回変わってるので、その、CDを出すことになったいきさつというか思い出話というか、、、語るなんてもんでもなく、緊張しちゃって気持ちがあせってレロレロだったんですけど、、、

喋るのって難しいですね。自分のわかってることを人にわかってもらう、人に伝えるのも才能と技術と経験がいりますね。僕はダメだな〜



ということを痛感する、リクエストにお応えしての久々のマモログ・ザ・ポッドキャストでした。新潟の先生、生徒さん、棚橋さん、どうもありがとうございました。

posted by 田辺マモル at 15:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

リハビリ

歌って録っては聴き、歌って録っては聴き、これを繰り返す。ダンサーが鏡の前で踊るようなものか、女の人が毎日鏡を見ながら化粧するようなものなのか。



なんだか苦しげだなあ。一音下げようか。



だったらストロークじゃない方が(曲調に)合うかな。



だめだ。そもそもの曲のテーマと違って来てしまう。カラ元気な歌なのだ、これは。真ん中をとって半音だけ下げてみよう。



なんだか最初のがやっぱり一番いいような気がして来たなあ、、。ライブだとちょっとテンションも上がるし、(上がると声もちょっと上ずるので)最初のでいいんだろうなあ、きっと。

と、堂々巡りしつつ、歌っては録って聴いてを繰り返す。

メロウ(笑)な曲も歌おう。『なかよし』



あ、ついつい最後まで歌ってしまった(笑)しまったってこともないか。鼻がつまるなあ。秋と春はつらいなあ。もう一曲メロウなの(笑)



こうして歌ってるとだんだん力が入って来ちゃうんだよな、らく〜に歌った方がいい声が出るのに。ギターの音量にまけじとがんばっちゃう。ほんとはヘッドフォンをして歌うといいんだけど、、(ヘッドフォンがあまり好きではない)。それか、立って歌うか(立てば耳に届くギターの音量が減る)。

というような感じで延々続く、、、。歌っては録って聴いて考えて。
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2009年09月26日

歌い初め

ライブはもう2年ぐらい休んでいるのだけど、新潟の音楽専門学校からゲスト講師に来てもらえませんかと頼まれ、行くことにした。

10年ほど前に、そういえば新潟のビジネス系の専門学校でトーク&ライブのようなものをしたことがあり、それを見ていた生徒さんが今はその音楽専門学校の講師で、彼が呼んでくれたのだ。10年前に見た感動を、今の自分の生徒たちに見せてあげたいと。

え、ということは歌うの?歌えるかなあ?ずいぶんしばらく声出してないもんなあ、、とおどおどしてみてもしかたないので、様子を見るために録音してみた。鼻がつまっててごめんなさい。秋の花粉症です。言われる前に言ってやる。



歌えているのか?なんだか歌い方が変わったような。まあいいか。どうにかなるか。なるか?
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2009年09月13日

歌の作られ方 その一の補足二

当たり前だと思われるかもしれないこんなことをなぜわざわざ書くのかというと、歌を作り始めた頃はこれとはまったく反対のことを志していたからだ。自分の気持ちなんかを歌ってたまるかと思っていた。そういうのは古いと思っていた。こんなつまらない自分のことを歌ってもつまらない歌しかできないと思っていた。

そう、つまらない歌かもしれない。くだらない歌かもしれない。

30歳の頃だったかな。「フル・モンティ」というイギリス映画を見た。失業した中年男たちがストリッパーになるという話だ。もちろんバカにされるし笑われる。けれど何も持たない、若さという唯一の取り柄もなくした中年男は、生活のために裸になることを選ぶ。裸になるしかない。その姿はこっけいであり、感動的であった。

おそらく才能とか美貌とか美声とか、ものすごい何ものかを持っているのなら、わざわざ裸になったりしなくてもいいのかもしれない。たぶん裸にならないほうがいい。話がとっちらかるけれど、僕は江頭2:50が大好きだ。この人もフル・モンティだ、と思う。見ていておかしい、そこまでやるか、と思いながらも感動する。お笑い芸人の多くはしゃべりの才能で勝負をする。と、思うんだけど、この人は、自分がうまくしゃべれない、しゃべって笑いを取れなくてもどかしいときにキレて、脱いで踊る。

そんなのは芸とは言えないのかもしれない。やっぱり素人芸だ。けれど目的は笑わせること。感動させること。感動というのはおこがましいけれど、少しでも見る人聞く人の気持ちを動かすこと。芸だろうがなかろうがかまわない。手段は関係ない。

ということでもやっぱり歌作りにセオリーはないのだと思う。結果的に良い歌ができたなら、なんだっていいのだ。裸になる、というのも、無数にある中での一つのコツに過ぎない。

こないだ読んだ『なかにし礼の作詞作法』にも「作詞に王道はない」と書いてあった。

 作詞の方法がわからないという人がいる。
 そんなもの、ぼくだってわからない。第一、作詞に理論があるだなんて考えたこともない。あるとしたら、歌を書く人間の頭数だけあるのでしょう、ということは、ほとんどないことに等しい。


うん、おっしゃる通り。松本隆も「セオリーはない。方法論はない。頭をまっしろにすること」というようなことを『ザ・ソングライター』で言っていた。詞ではなく詩だけれど、谷川俊太郎さんも「まっしろなパソコンの画面に言葉が浮かび上がってくるのを待つ」というようなことをおっしゃっていた。

 歌を書くということは、、海に飛び込むことに似ている。
歌を書きたいという思い、それが悲しみなのか、淋しさなのかわからないが、何かわけのわからぬ正体不明のわだかまりに突き落とされて、海に飛び込む。
 もぐってゆく。息を殺してもぐってゆく。
 苦しくて、すぐにも浮かび上がりたい気持ち。耳はキィーンと痛くなる。心細さはいっそうつのる。
 だが、そう簡単に浮かび上がってはいけないのだ。
 1メートルでもいい。50センチでもいいから、少しでも深くもぐること。そうすれば、少しでも大きな貝、美しい石がみつかるかもしれない。
 美しい貝をつかんで、一気に浮上する。海面に出て、ガバッと空気を吸ったとき、歌は出来ている。
 しかし、海の底で見た時はあんなに大きかったのに、陸の上で見ると、この貝はなんて小さいんだろうと思うのも毎度のことだ。
 しかし、それでもいいのだ。
 海に飛び込んだら、安っぽい石でもいい,砂でもいい、何かをしっかりつかんであがって来ることだ。
 手ぶらであがって来ないことだ。


素晴らしい。その通りです。僕は裸になって海にもぐる。『NHK教育 不滅の歌謡曲』もおもしろい。まだテキストしか読んでないけど。


posted by 田辺マモル at 09:25| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

歌の作られ方 その一の補足一

文学的にうまくなくてもいい、稚拙でもいい、ということについて。

『考える人』という新潮社の雑誌に連載されている『考える短歌』。俵万智が読者からの投稿にアドバイスしつつ添削している。たまにこれを読むと、元のままの方がいいじゃん、と僕には思えるものが多い。俵万智の仕事にケチをつけたいわけではまったくない。俵万智のアドバイスは正しいのだと思う。短歌ではなく、歌の言葉としてそれを読んでしまっている僕がいけないんだと思う。

例えば、

生き残る魚卵のごとく難しい友となるのも友でいるのも

生き残る魚卵のごとく難しい友となるのは友でいるのは

上が読者の書いたもので、下が添削されたもの。

僕には上の方が良いと感じてしまう。俵万智さんの直したものと聞いた上で下を読めば、そうか、こちらの方が短歌としては上出来なのだなと納得するけれど、正直言って大差は感じない。

繰り返すけれどこれは俵万智さんがいけないわけではなく、僕に短歌の素養がまったくないからわからないだけだ。31文字のみで表現しきる短歌にとっては、「は」をつかうか「も」をつかうかは大問題なのだ。どっちだっていいなんて言ってはいけないことなのだ。

これが歌われる歌の言葉だとすると、短歌ほどには大問題でなくなる。歌声やメロディや、言葉に100%頼らなくとも、表現することができるからだ。それに、僕が前者をなんとなく良いと思ったということを分析してみれば、「は」でなく「も」のほうが、「とも」と「のも」の韻がそろうので気持ちよく聞こえるような気がする、ということがいえる。

あ、テクニックなんて二の次だという話をしていたのだった。韻うんぬんというのは蛇足でした。そういうことではなく、読者の気持ちから出て来た言葉そのままのもののほうに、なんとなく力を感じるのだと、思いたい。
posted by 田辺マモル at 15:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

歌の作られ方 その1

歌を作るのにハウ・トゥもセオリーもないけれどプロセスはあるのではないかと思う。いや、もちろんある。何を作るのにもプロセスはある。

僕の場合、もやもやっとした気分のときや、あっ、これは歌になりそうだと思ったときに、思いついた言葉をノートや紙やパソコンに書きなぐっておく。思いつくままに、なるべくスピーディに。

で、放っておく。

曲をつけることを前提としていないので、いや、もちろん歌にすることを前提としてはいるんだけれど、言葉数をそろえたり、一番二番とかの構成を考えて詩を書いているわけではないので落書きに近い、そんなものなので、こんなのが歌になるのかよ〜〜と、自分でも半信半疑だったりするのだけれど、そこに書かれたことに力があれば、つまり、そこに書かれたものに歌にしてくれ〜という強いモチベーションがあるのなら、不思議と、どんな言葉であれ歌になる。

普通に考えて、文学的に考えて、とても稚拙で間違いだらけの言葉であっても、それを書いた自分の内に強い動機があれば、自分の強い思いがあって出て来た言葉であれば、なんでもいい。素人芸かもしれないけれど、フォークなんて素人芸だ。

いい例えじゃないかもしれないけれど、たとえば氷山。氷山の海面から上に出ている部分が書き記した言葉だ。海面下にはその氷山を支える土台があって、たいがい何十倍、何百倍、いやもっとかな、もの容積の土台が下にはあるんだろう。そこが想いというか、なんというか、その土台が大きくないのはダメな氷山だ。氷山にダメもなにもないけれど、土台の小さな、土台の育っていない氷山は、不安定で、ぐらぐらしている(んだろう)。土台さえ大きくしっかりしていれば、海の上の目に見えてるところがどんなになっていようと、そこをどう削ろうと、どう破壊しようと、どう掘ろうと、たいした問題じゃない。どうにでもなる。うーん、やっぱりいい例えじゃないな。苦しい。

という、自分の文才のなさを擁護するために仕組まれた考えかもしれないけれど、歌において大事なのは言葉よりも想いだ。だから素人芸だと自分で書いた。テクニックよりもハートが大事なんて、そんなことを言うのはプロじゃない。だから売れないのだ。ほっとけ。話はようやく戻るけれど、その想いさえちゃんとあれば、落書きのような言葉だって歌になるような気がする。だって、もし書かれた言葉だけで完璧に完結していたら、節、メロディを付けて歌うこともないもんね。

放っておいて、しばらく後になって、書いた頃も忘れたころに見返して、これは歌になりそうだな、これはならないな、なんだこれ?意味すら不明でどうしようもないものやら、まあたいがい歌になりそうにないものが多いんだけど、それはその書かれたものに力がなかった、つまり言葉の背後にある想いが弱かった、歌にするまでもないものってことで置いておく。しばらく放っておくというのは、書かれたものに歌になるための強いモチベーションがあるかどうかを見極めるためなのかもしれない。弱い想いはあっという間に忘れるけれど、強い想いはいつまでも忘れない。時が経っても、簡単には風化しない。そんな、まれにある、これは歌になりそうだなって言葉に、歌にするべく取り組む。

長くなったので、その取り組み方はまたいつか。

すべての歌をこうして書いているわけではないんですけどね。昔はメロディから先に書いていたことが多かったです。今のポップスの主流は曲先だということも知っています。けど僕はダメでした。
posted by 田辺マモル at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

いいタイトルが思いつかなかった

ミディ・マガジン、更新しましたよ。

http://midiinc.com/cgi/contents/magazine.php?id=213

クリストファーソンさん。正しくは、クリスファソンと発音するらしいんですけどね。渋いです。歌う文学者。



posted by 田辺マモル at 10:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする